ノリのスポーツコラム

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復活を期す男!その2
2008/04/07
そのように苦しみながらも頑張る姿を大リーグピッツバーグパイレーツに所属していた桑田真澄は私たちにはっきり見せてくれる。
彼は1995年に右肘の靭帯を断裂してしまう大怪我をしてしまう。そこから、肘の手術を受け、約2年間のリハビリ生活を行う。右肘がまったく使えず、ただジャイアンツ球場の外野を走り続ける日々、そしてその走る場所の芝生が剥げてくる。
その剥げてきた芝生の通り道をいつしか人々は「桑田ロード」と呼ぶようになった。そして、その地道な努力は身を結び、復活した年は10勝を挙げる活躍をする。
しかし、野球の神様は何度も桑田に試練を課す。昨年、大リーグ昇格前にオープン戦で右足首の靭帯断裂をした。念願のメジャー昇格はできたが、自分自身納得のいくパフォーマンスはできなかった。引退かと思われた今年、彼は再びメジャーのキャンプにいた。彼はニュース番組でこう語っている「人からどう思われようといいんです。自分自身がいいと思うことをやれると思えば、苦しくはないです。だって自分が好きなことができるのですから」
彼は3月末に結果を残していながら、マイナー行きをつげられた。
そして、自分の中で納得し、静かにグラブをおいた。
このような姿を見るだけでも、病気や怪我から戻り、高いパフォーマンスを再び見せる選手は偉大であることは間違いない。それに加えて、その姿に虜になれる日本人の感覚はいいなと感じるときでもある。