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サヨナラ 広島市民球場 その2
| 2008/03/17
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しかし、その当時ナイターが主流になってきており、やはり自分たちの照明灯のある球場を持とうという声が高まり、広島市が地元財界に寄付を募り、中国地方初のナイター球場が1957年に完成した。 また、完成までのエピソードも突拍子のないものがあり、球場を作ってもらうため、 地元の女性ファン有志が当時の広島市長が出張から帰ってくる広島駅でまちぶせし、嘆願するなどというものがあった。そのように広島市民が待ち待った器が広島市民球場であった。 正直、私たち若い世代はただの狭くて汚い球場にしか見えない人たちが大半であろう。 しかし、このようなエピソードを少しでも知ると代わった見方ができると思う。 そして、そのようなエピソードをしっかり次世代に伝えていかなければならないと 精力的に動いているのが市民団体の「カープと市民球場はみんなの宝物」だ。私も何度 もメンバーの方にお話を伺っているが、情熱的でエネルギッシュだ。そんな宝物の会が今、精力的に行っている活動がカープの歴史の語りべの育成だ。昨年の秋くらいから広島市東区の二葉公民館が行っている。カープ創世記や市民球場建設当初の話しを語れる人も年々少なくなっており、それを何とか形に残し、継承していきたいという素晴らしい試みだ。 先ほどにも少し書いたが、私たち若者は昔を感じられない。これはとても大きいように 感じる。 カープや市民球場がどのように苦労して作られてきたのかという話しを聞いても、「あー大変だったんだなあ」ということしか感じられないだろう。これは仕方ない ことだ。昔のできごとだから、実際に感じることはできない。しかし、少しでも知ると いうことは無駄にはならない。その知るということに対して、私はどうすれば同世代に関心をもってもらえるかを今年、悪戦苦闘しながら実践していきたい。 また、そのキーとなるのは「コラボレーション」だと感じている。 |
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