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Laws of the Game
| 2024/12/02
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. 問題@ 40代のリーグ戦の試合後半(以下チーム甲・チーム乙・審判団丙と言う)に於いて オフサイドではないと副審が判断したチーム(乙)の選手が パスを受けゴールを決め主審はゴールを認めた チーム(乙)の選手達がゴールの喜びを表している時 チーム(甲)側のベンチ等から「さきほどの選手はオフサイドである」 との激しい抗議が主審及び副審に対して行われた 主審は抗議を受け入れ判断を覆してノーゴールとした チーム(乙)側のベンチ等から「判断を覆すのはおかしい」との抗議が 審判団(丙)に対して行われ、結果として、試合が15分程度中断した後に チーム(乙)側がノーゴールを受け入れ、試合が再開された
その他:大会本部はチーム(乙)の上位年代が担当していたと考えられる その他:問題のシーンはチーム(甲)側のベンチ前で発生していた その他:スタンドで俯瞰していた者の印象はオフサイドではないとのこと
江戸南町奉行 大岡越前(大岡忠相)1677-1752と 経済学の父 アダム・スミス(Adam Smith)1723-1790は ともに島国、日本と英国で同時代を生きた「哲学者」である
「 盗人を捕らえて見れば我が子なり 」 困った困った、こまどり姉妹
★ アリストテレスは 人を説得するには3つの要素が重要だと述べている 論理(ロゴス) 信頼(エトス) 情熱(パトス) の3つである logos(ロゴス)は、論理展開で納得できるかどうか 辻褄の合わないストーリーに人は納得しない 「〇〇すべきである」なぜなら…と納得いく説明ができるかどうかが重要になる ethos(エトス)は、本能的に「この人は信頼できる」と思ってもらえるかどうか 人は瞬間的な見た目や表情・姿勢や仕草などの感覚的なイメージに影響され易い 一度信頼できないと感じると聞く耳を持たなくなる pathos(パトス)は、共感してもらえるかどうか 話し手に情熱や熱意がなければ、聞き手の心には届かない 必死な形相で訴えかけられると「わ、わかった・・・」なんてこともよくある話である pathos(パトス)を語源としているのがEmpathy(エンパシー)とsympathy(シンパシー) 分解すると em(内側に向かって) pathos(情熱、感情、苦痛) syn(ともに) pathos(情熱、感情、苦痛) いずれも「共感」と和訳される事が多いが Empathyは「より深く相手の立場/内面に立って理解する」というニュアンスが強く Sympathyは「他者と共にその感情に寄り添う」というニュアンスで使われる Empathyが「論理」logos(ロゴス)に基づく「共感」だとしたら Sympathyは「情熱」ethos(エトス)に基づく「共感」と言えるかもしれない
アダム・スミスは「道徳感情論」の中で 人間は、直接自分の利益に関係がなくとも、他人の境遇に関心を持ち 観察することで何らかの感情を引き起こし「共感」する心を持っていると述べている そして「国富論」で、人間に賢さ/共感力sympathy(シンパシー)があるからこそ 全体経済は「見えざる手」に導かれて成長すると論じている
さて本題に戻ろう チーム(甲)側から審判団(丙)への抗議は 審判団(丙)の決定を二転させ チーム(乙)側から審判団(丙)への抗議を惹起した 大会運営本部は機能せず 15分近くゲームが停止し チーム(乙)側が抗議を取り下げる形でゲーム再開 したものである ・・・ 原始サッカーはかくやあらん ・・・ サッカーの歴史を遡ると、試合中に問題が起きて意見の相違が生じた場合 選手間で解決していた時代があった 競技性の高まりと共に、最終判断を委ねる(Refer)人が必要となり 次第に主審(Referee)、副審(Assistant referee)などの役割が確立されて行き 競技規則において「主審の決定が最終」と制定される事となった 当該ゲーム(試合)は、大会運営要項/総則(1)で 「この大会は(公財)日本サッカー協会の基本規定に基づき (公財)広島県サッカー協会の統括のもとに運営する」と規定している 日本サッカー協会は、国際サッカー連盟(FIFA)アジアサッカー連盟(AFC)に加盟し、 国際サッカー評議会(IFAB)によって制定・改正・変更される 「サッカーの競技規則/Laws of the Game」の規則に基づいてプレーすると規定している
論理(ロゴス)的に言えば、 チーム(甲)は「規則によって最終とされている主審の決定に異議を唱えた」事となり チーム(乙)も「規則によって最終とされている主審の決定に異議を唱えた」事となり 審判団(丙)は「最終とされる主審の決定への異議を放置した」事となり 大会運営本部は「最終とされる主審の決定への異議を黙認した」事となる
国際サッカー評議会(IFAB)は 「サッカー競技規則の基本的考え方と精神」を以下のように表明している サッカーは地球上で最も素晴らしいスポーツです あらゆる大陸、あらゆる国、そしてさまざまなレベルでプレーされています FIFAワールドカップから辺鄙な村の子供たちの試合まで 世界中のあらゆるサッカーで競技規則が同じであるという事実は あらゆる場所でサッカーの利益のために活用し続けなければならない大きな強みです サッカーには、試合を公正に保つためのルールが必要です これは「美しいゲーム」の重要な基礎であり、ゲームの「精神」の重要な特徴です 最高の試合とは、プレーヤーがお互い、審判員、そしてルールを尊重してプレーするため 審判がほとんど必要ない試合です サッカーのルールは、他のほとんどのチームスポーツに比べると比較的シンプルですが 多くの状況は主観的であり、審判員も人間であるため、決定が間違っていたり 議論や討論を引き起こしたりすることもあります 一部の人にとって、この議論はゲームの楽しみや魅力の一部ですが 決定が正しいか間違っているかにかかわらず、ゲームの「精神」は 審判員の決定を常に尊重することを要求します すべての権威者、特にコーチやチームキャプテンは、試合の審判員とその決定を尊重する という明確な責任をゲームに対して負っています
「正誤に関わらずゲームの(精神)は審判員の決定を常に尊重することを要求している」 持って回った言い方であるが 「ルール(法律)に共感(Empathy)せよ」と言っているのではなく 「ゲーム(精神)に共感(Sympathy)して下さい」と頼んでいるのである
アダム・スミス的な表現をすると 審判(Referee)を信頼する賢さ/共感力sympathy(シンパシー)が人間にあるからこそ あらゆる大陸、あらゆる国、そしてさまざまなレベルでプレーされるサッカーは 時代を超え「見えざる手」に導かれて普及・発展・成長する のであろう さて読み始めて頂いて、ボチボチ15分位い 経っただろうか 両チームの選手・審判団・運営担当者・試合の遅延を被るネクストゲームの関係者
・・・ そして読者の皆様にとって「貴重な15分」が過ぎてしまいました
リスペクト(大切に思う心)は、時間も大切にします
http://www.footballrules.com/
There's a choice we're making We're saving our own lives Its true we'll make a better day Just you and me
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