監督の部屋

日本のサッカー文化
心が導く
監督のコラム サッカーとハート  
リーグを終え入れ替え戦を前に



心が導く
2008/05/21
連敗を喫し、なかなか元気が出ない状態が続いている時はどうしたらよいのか?簡単にいえば『何かを変えなければならない。』ということである。しかし何をどのように変えればどうなるのか・・・簡単には答えは見つからない。しかしスポーツの世界で良く見受けられる方法は選手にもスタッフにも”刺激”を与えるということだろうか?よく連敗を脱出するために監督を更迭する…なんて言う話はよく耳にするところだろう。私にも更迭説が出てもおかしくないのだが・・・。


 さて、ではその刺激を与えるという行為は誰が行うのか?立場でいえばフロントが行うこともあれば監督が行うこともある。選手が行うこともある。では監督が行う手法としてはどういう感覚を持ち合わせた上でのどういう刺激か?実際に連敗を脱出する”刺激”を生み出すのにはどんな具体的なことがあるのか?それは先発選手を入れ替えたりすることによる刺激である。
 しかしただ闇雲に選手を入れ替えても意味がない。いつも傍にいる選手達の微妙な動き・しぐさ・感受性の変化・感覚を逃さないよう酌まなく読み取ることが絶対必要条件である。どういうことかと言えば交代させられた選手が実際には「最近自分は調子が良い」と思っているかもしれない。しかしそれでも私から見れば良いプレーができていないと思えるかもしれない。一方ではその逆もある。本人は調子が良くないと思っていても私からすればよいプレーをしているように見えることだってある。余談になるがこれが指導者を信じていけなくなる選手が生まれる要素なのかもしれない。言ってみればこのギャップはどちらかが悪いとか言う物ではなくどちらかの思い込みから生まれるものである。どちらが正しいかを探し出す議論となるなら決して解決しないものであろう。議論をしても結論がないものであると思われる。


 ただ私はそのギャップを少しでも埋めて、「何が良いプレー」で「何が今、チームに必要とされるプレー」であって「今どんなプレーを求められているのか」を伝えることが仕事だと思っている。もっといえば伝えた後、実践の機会を与えていくことが更なる仕事であると考えている。指導者と言うものはのこのギャップを埋める努力なくして良い指導はできないはずである。であるからして私は選手に『いつもチャンスはある』と言い続けている。だからその日・その1週間の選手たちの様々な気分の移り変わりや体調の善し悪し・気分の乗り具合を見分ける”時間”と”目”を持ち合わせなければならないと思っている。
 しかしながら一方ではそのチャンスを残念ながらみすみす逃していく選手もいる。チャンスはいつも空から降ってきている。『あっ!チャンスが落ちてきた!!』と気づくか気付かないか・・・。大きな差である。傲慢な態度の者は目の前のチャンスは見えなくなり見逃す。周りに敏感で気配りができる者はその降ってきたチャンスに気づき落ちる前に拾える。そいった準備をしている者が最後には飛躍できる。言うなればチャンスを逃さないように拾える状態を常日頃から自分で作っているのかいないのかが大切になり、その作業を行っているのかいないのかを監督は見ていると言っても良いかもしれない。

” 日々努力! ”
” 驕れる者は久しからずや ”

  である。


 だからいくつになっても指導者としては勉強が必要だ。試合においては変な先入観や固定概念を持たず選手を決定したい。新たなチャンスをつかむべく新人登用や出場機会の少ない選手も思い切って使う。それは日々を見ているから出来ることであり、日々の練習で選手が出す結果を見ているからメンバー選考の確信となり結論となっていくのである。当然、ある試合での先発組がその試合で勝利を掴むとするなら次の試合においても先発組の再登場は有りだ。結果を出したのだから・・・。しかし試合の現場においては決して情けは無しであり厳しさはなければならない。
 私が授業で全体練習に参加できなかったり練習参加に遅れたりする選手に『グラウンドに行き一人ででも練習すること。また数十分でもいいからトレーニングをして帰ること』と言うのはこういう理由だからだ。練習自体はいつも自分の”ため”になる。ましてや自主練習をしている姿を仲間が見たとするなら自然と仲間は理解を示すし私も情報が入手できる。ということはやはり大切なのはサッカーに取り組む心の問題だということになる。

 だが、先発を外されたからと言ってプレーが良くないということばかりではない。もちろん他の選手に少しばかり良い部分があるから先発を外されたということは少なからず事実ではある。しかしそれがすべてではない。いわゆる”刺激”という部分もある。下を向いたりふてくされては何も残らないし前に進まない。良い方向にも悪い方向にもどうにでも動いてしまう。

 つまり『心が導く』のである…何がしかの方向に。

常に振り返ろう。常に謙虚であり周りに敏感であれ。