50(フィフティーズ)の落書き帖

スクラップ帖83(師匠 寺西 忠成のこと・・・B)
スクラップ帖82(師匠 寺西 忠成のこと・・・A)
スクラップ帖81(師匠 寺西 忠成のこと・・・@)
スクラップ帖80(養老 孟司さんの超バカの壁(新潮社・新潮新書)より・・・)
スクラップ帖79(サムライ・・・雑感・・・)
スクラップ帖78(わくわくする仕事・・・雑感・・・)
スクラップ帖77(妬み・・・宮本 政於氏、プレジデント1995.6より)
スクラップ帖76(壮大な夢を記す・・・雑感・・・)
スクラップ帖75(司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」から・・・雑感・・・)
スクラップ帖74(松浦静山「甲子夜話」、板倉綽山、林述斎「水雲問答」・・・ )
スクラップ帖73(雑感・・・)
スクラップ帖72(三浦 展氏の「下流社会」〔光文社新書―光文社〕より)
スクラップ帖71(親子関係・・・中西 進氏のメモより)
スクラップ帖70(シンギュラー・ポイント〔安岡 正篤のメモ〕・・・雑感より)
スクラップ帖69(感性のダイナミズム・・・行徳 哲男氏の1997年対談メモより)
スクラップ帖68(理路整然・・・書き人知らず)
スクラップ帖67(発想・・・石橋 勝さんのメモより)
スクラップ帖66(ふたたび監督とコーチ・・・森 祇晶氏のメモより)
スクラップ帖65(監督とコーチ・・・童門 冬二氏のメモより)
スクラップ帖64(健康的に開き直る・・・黒木 安馬さんのメモより)

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雑記帖123(旧道・・バス・・気くばり・・・)
2007/05/01
 「気くばり」というものはなかなか難しいもので、やはり世の中をあれこれと生きてきた人でないと出来るシロモノではないんじゃないかと思ってしまいます。

 僕もサッカー指導者の端くれでして、以前大型バスを運転して選手たちをあっちこっちと連れて動き、「他流試合」に精を出していた頃がありました。(可哀想に選手たちは、次はどこへ連れて行かれるのかな・・・と・・・)

 いま、安佐南区祇園に住んでいますが、家の前からちょこちょこっと曲がって、広島経済大学へまっすぐ抜ける道へ出て、JR可部線の小さな踏切を渡ると、すぐのところに旧国道があります。とても狭い道路で、まだ格子窓や「ウダツ」がある黒塗りの古い家がわずかに残っていて、いい雰囲気が残っています。昔子どもの頃には、県北の田舎に向うバスはここを通っていました。いまの54号線は当然あの頃になく、ここはメイン道路でした。だからいま「旧国道」ですね。いや「旧道」のほうがいい響きでいいですね。で、いまもここを1時間に2〜3本程度ですがバスが通っているのです。あの小さな踏切を渡った旧道に「広島経済大学入口」というバス停があります。これなんかも「停留所」(テーリュウーショ)がいいのです。しかしこの停留所、大学の入口にしては結構遠いところにあります。いやこれぐらいはなんでもない距離と思わなくてはいけませんよ。そうそうJR可部線の我が家の近くの駅というと「下祇園」で、駅の近くには広島経済大学のスクールバスの乗り場があります。
我が家から歩いて10分ぐらいの距離にある「下祇園」駅。あの踏切から旧道にでて右に曲がると、途中安神社やその先に大下学園や祇園小学校があります。この踏切を逆の左方向にいくと、同じぐらいの距離に「古市橋」駅があります。

ところで「祇園」駅ではなく、「下祇園」駅というのはなぜ?
旧道を通るバスに乗ると、「停留所」(テーリュウーショ)が、横川側からだと「下祇園」、「中祇園」、そして「上祇園」とアナウンスがあります。「下祇園」はJR可部線の「下祇園」駅に近く、「上祇園」は安神社のところにあります。
で、実はあったのです!JR可部線の「上祇園」駅が。たぶん「中祇園」駅ではなく、「上祇園」駅が確かに在ったらしい。(らしいというのは、JRじゃない国鉄を知っている僕もその存在は知りません)バスのテーリュウーショから推測すると、安神社の裏あたりか?
ここに駅があったという場所を知りたいなあと。誰かご存知の方教えてくださいよ。

まったく「JR可部線めぐり」となりました。何を書こうとしたのか。そうそう「気くばり」でした。大型バスと旧道の関係から「気くばり」のむずかしさを感じたのでした。

向こうから大きなバスが来ています。狭い旧道の道幅で、すれ違うお互いの間隔はぎりぎりですがなんとかうまく動いてすれ違います。でも時々バスが止まってこちら側の車を先に通そうといています。こちらの車とバスの距離はまだ20Mぐらいはありました。こちらの後ろにはかなりの車が連なっていました。バスの後ろには後続の車はありません。こちらはぎりぎりのすれ違いをせずに済むので、皆さん手を上げての「お礼サイン」でそのまま通過していく。普通ならバスも止まらなくてもいいのにと思われますが・・・。
実はバスのすぐ前、道路左側に電信柱がありました。バスはすこし右にハンドルを切らなければなりません。そうすると対向する側に、いつもよりはみ出てしまいます。バスの運転手は早めの止まる判断をしました。
ここでこちら側の最初の車の運転手が大型車の運転経験があれば、バスの前の電信柱を見て、バスとの距離、こちら側の後ろの状況から先に止まる判断が出来たということです。バスはスムースにここを通過していくことができたということです。これは大型車の運転経験がなければなかなかその判断はできないと思います。

体験・経験からわたしたちはいろいろと学んでいきます。子どもたちにはその経験も体験もまだまだ少なく、分からないことがいっぱいです。たくさんの経験をさせてやれる環境をいまの世の中だから、大人が作ってやらなければいけないと思っています。そしていいタイミングで教えてやれる大人側の「技量」がさらに必要でしょう。だから大人も学ばなければいけないと思います。知っていてもしない大人の「振る舞い」を子どもたちは観ています。おとなの何気ない「気くばり」は子どもたちに最高のやさしさを教えると思うのですがいかがですか。