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ALL-INとは何だったのか
| 2009/10/05
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一昨日、エントランスで会議の冒頭、私がメンバーに「ALLーIN」で頑張ろうと言った。 その時、あるメンバーが「その言葉、聞かなくなったねえ」と言った。
4年前、「ALL−IN」は広島の中で流行語だった。その言葉を創ったのが、マーティー・ブラウンだった。 私は特別ゼミの中で松田オーナーから、いち早く、この監督就任のことを聞いた。 その瞬間、何か変わりそうな気がしてワクワクした思いがある。
そして、実際に変わった。 この監督はチームだけでなく、積極的にファンや地域と一丸になろうとした。 これこそ、「ファンサービス」だというものを広島は実感した。 それは球界再編問題や球場問題で揺れる広島の唯一の光でもあった。
そこから、その監督を1975年に就任し、初優勝の土台を創ったジョー・ルーツと重ね合わせた。 そして、ファンは毎年、期待し、4年間このキャッチフレーズを使い続けた。 市民球場ラストイヤーや新球場開設ということも重なり、カープはものすごい盛り上がりを見せた。
しかし、いつの間にか、「ALL−IN」という言葉は色あせた。 それは常に結果を求められる厳しいプロの世界、さらに、現代人特有の飽きやすい体質などが原因だろう。 ここに問題がある。広島は「ALL−IN」という言葉が「当たり前」になってしまった。 そして、いつしかこの監督の存在感が薄れてしまった。
だが、私は思った。 近年のカープを核とした広島の盛り上がりは、この監督の「ALL−IN」という言葉が大きく影響しているのではないか。 そういった意味でこの監督の功績は非常に大きいと感じる。采配などで疑問視する声もあるが、私の20数年の人生の中で、一番好きな監督である。 また、私のような若輩者が積極的にこのような活動や研究ができているのもこの監督のおかげであるのかもしれない。
昨日、カープはCSを逃し、ブラウン監督の退団が 決定的となった。
私はALL-INという言葉を見なくなるのかと思うと寂しくてたまらない。
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