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平成22年度4月二木会
| 2010/04/08
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「奥道後温泉誕生時の逸話」と題して、金丸昭治さん(昭和22年卒、広島大学名誉教授)が講演した。これは、広島大学に赴任した1962年(昭和37年)に、松山地方裁判所からの依頼を受けて、温泉の噴出地点を争う裁判に、鑑定証人として参加したときの話。 奥道後温泉は、松山市の中心を流れる重信川の支流、石手川の上流で噴出したのだが、その地点が、河川敷かどうかで、松山市長と県知事とが争うことになった。温泉が噴出した場所が河川敷の中であれば県知事が、外れれば、松山市長が温泉の管理権を持つことになる。 しかし、河川敷の範囲については、当時は明確でなく、鑑定方法も決まっていたわけではないので、両者に承諾を得て、過去の最も大きい洪水時に、水面がどこまで来たかということを基準に鑑定を進めることにした。過去の河川の流量データは下流のものしかなかったため、このデータに基づいて、噴出地点の水位を計算することになった。算出過程でも様々な課題があったが、計算では、過去に温泉の噴出地点まで水位が上がったことがある結果になり、原告の松山市が訴状を取り下げるかたちで決着したとのことであった。 「事実は小説より奇なりという言葉があるが、人々の様々な営みの歴史には、ふだん想像もできないような奇怪な出来事が裏舞台にはあり、それもひっくるめて、一つの歴史が構築されるのだと再認識した出来事だった」という言葉で、金丸さんは講演を締めくくられた。
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