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平成22年度6月二木会
2010/06/10
「マツダユーノスロードスター誕生の裏話」と題して、広島女学院大学教授の堀田佳克さん(昭和33年卒)が講演を行った。
ロードスターの開発の検討は1983年から、本社、東京、ロスを拠点に始まった。ロスのメンバーの設計をもとに、粘土や木製のモデルを作成しながら検討を重ねたが、当時はファミリア、カペラ、ルーチェの3兄弟の仲間入りをさせる余力も体制もなく、商品開発計画の中には入らなかった。
しかし、一人の役員が開発の道を残してくれたことで、英国で検討を進めることに。検討の末、試作車を作り、米国の一般道を走行して反応を見ると結果はかなりの好評価だった。社内で商品化の機運も出てきて、そして量産開発のGOサインが出た。
その後、ボディーを量産用のものに設計し直し、1989年に米国で発売。各地で納車待ちの状態が続いた。日本では半年遅れの秋に発売し、月8000台の脅威の売り上げを誇った。
 この車が売れた要因については、シンプルなデザインや低価格なスポーツ車だったということが言える。しかし、堀田さん自身は、マツダの体質をいったん捨てて欧州のロードスターの原点を求めた作品になったこと、新しい技術を活用して軽量で強いボディーを実現したことではないかと考えている。「初めて新しいことを始めるときには、必ず大きな反対や抵抗があり、それを突破しないと実現しない。しかし、当時はいろんな部署でそういった挑戦が行われており、技術屋冥利に尽きる土壌があった。」と、堀田さんは講演を締めくくった。

※「ユーノスロードスター」は、世界で最も売れた軽量のスポーツカーで、発売から10年間で約53万台を販売し、世界で最も売れた2人乗りオープンスポーツカーとしてギネスブックに登録されている。現在、87万台以上を販売し、記録を更新中である。