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「学校教育」は子どもの教育の一部
| 2005/03/19
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昔の話になりますが、小学校の低学年の担任が職員会議でいいま
した。「子どもの自転車の乗り方が悪い。怪我をしたら大変だか
ら自転車のりを禁止しました。」と。若輩者の私は抵抗しまし
た。「なぜですか?そんなに簡単に禁止していいんですか?」
と。
子どもたちの家庭や地域社会でのそれぞれの生活実態を知らない
で、よく観ないで、また、保護者の意見も聞かないで、いや、そ
んなに安易に学校の教員が「禁止」なんてしていいのか。と私は
思ったのです。もうずいぶん昔の話です。
今の学校ではこのようなことは少なくなりました。家庭に任せる
とか家庭の判断とかを大切にするといいます。
「学校」という場所がどんなものなのか。私は学校教育の役割を
大きく2つに整理しています。ひとつは、子どもたちに知識を与
え、学ぶことの意義や楽しさを集団生活の中で体験させながら
「生きて働く学力」を身につけさせること、もうひとつは、社会
性の育成です。だから保護者へも「躾は学校の役割の重要な位置
をしめていない」と説明します。
家庭教育に6つの視点を持ちます。
@食べること A排泄すること B寝ること C危険・災害から
自分の守ること D正しいコミュニケーションの方法と人間関係
の調整方法を身につけること E正しい労働感を持つこと
これらの【躾】の上に立って学校教育があるものと思います。無
論子どもたちへの教育活動内容の重なりはあるのですが・・・
学校に勤める大人は、毎日職場に行くと特別な事情のない限り子
どもたち全員が待っていてくれます。そんなこと【あたりまえ】
だと言われそうですが、私はその子どもたちがそろっていること
に当たり前ではなく喜びを感じるのです。小さな子どもたちが下
校するときに「またおいでね!」というのもそんな思いからで
す。
学校に勤める大人が「学校での教育がすべてで、学校でしている
ことこそが教育なり」と強く思うとおかしなことになります。こ
れこそが教育があってこれ以外は教育ではない。学校がすべて
だ。学校がしないと子どもは育たない・・・・そんなふうに思っ
ている「学校の大人」って案外多いという指摘があります。学校
以外でも子どもたちは育てられ教育を受けていることを知らない
といけないと思います。
【すべき論】【こうして当たり前論】【学校にまかせなさい論】
で子どもたちの教育を学校でおこなうと、この今の社会に生きる
子どもたちにとってはとても窮屈でなじめなかったり、【そこだ
けよい子】を演じる能力を身につけざるをえないといったら過言
でしょうか。
学校教育は教育の一部しか提供できないということを学校の大人
として認識すべきだと私はいつも思っています。tak;;; | |