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スクラップ帖94(田勢 康弘氏の【戦後60年 (下)】(2005.8.16ー日本経済新聞より)
| 2006/04/08
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割ぽう着がそのまま「お母ちゃん」だった。全自動の洗濯機なんか「ありえない」し、盥(タライ)と洗濯板でゴシゴシと洗っているあの姿から、はじめて洗濯機というすごいものが入ってきた。グルグル回って洗濯してくれる白い箱が眩しかった。そして2つのパイプ状のあいだに洗濯物をはさんでハンドルを回す、いわば手動脱水装置に「お母ちゃん」はいた。そして少しずつ「幸せ」になっていったのである。
日本経済新聞の本社コラムニスト、田勢 康弘氏の【戦後60年 (下)】(2005.8.16)―「どこに向かいますか」を切り貼りしながら・・・
『 ・・・凡庸な人生を悔い、日本という愛してやまない国の先行きを案じてきた。あの夏から六十年、どういう国、どういう社会を次の世代に引継いで行くかをそろそろ考えずにはいられなくなった。
豊かになった。便利にもなった。二人に一人が大学へ進学する夢のような社会が実現した。では、幸せになったのだろうか。みんなが貧しかった戦後すぐのあの時代にくらべて、われわれは幸せになったと言えるだろうか。擦り切れた四畳半の畳、丸いちゃぶ台、天井から下がる裸電球。おかずらしいおかずはなかったが、かいがいしく働く母親の姿と、大黒柱としての父親の存在感があった。米や調味料を借りあった隣近所。汗水流して働けば、きっといつかは幸せになれると大人も子供も信じて生きていた。
豊かさを追い求めて敗戦国から有数の経済大国にまではい上がってきた。われわれの得意なところは、一心不乱に目標へ向かって走ることだ。明治維新から四十年足らずで日清、日露戦争を戦っている。一方で欠点は、急ぎすぎることである。豊かさを追い求めて急ぐあまり、本当に大事なことを置き忘れてきた。豊かさという山の頂をめざして懸命に登り続け、頂上を極めて気がつく虚脱感と、褒め言葉の奥に潜む国際社会の冷笑。
振り返ってみたら、豊かになること意外に、生きがいも、生きる目標も持っていなかった。
すべてに満ち足りた環境で育った子供たちは、砂漠で知るわずかな水のありがたさを知らずに大人になった。
分け与えられた喜びを知らない人間は、人に分け与えようとしない。
思い切り抱きしめられたことのない子供は、成人しても、人を正しく愛することができない。・・・
・・・豊かさを追い求めることは間違っていない。しかし、そればかりでは人の尊敬や信頼は得られない。
子供たちにいま必要な環境は「貧しさ」を知る環境なのだ。 子供の数だけ子供部屋を与えることが正しい子育てではない。むしろ独立した部屋など与えず、いやでも対話せざるを得ない環境のほうがずっと子供のためになる。そして国際社会ではっきりと意思表示できる人材をたくさん育てよう。
日本は独りよがりでは生きていけない。日本に関心を持ち、信頼を寄せ、できれば尊敬してもらえるように心がける。「悪いのは先方だ」という限りなく内弁慶の対応では、嫌われるだけだ。次の世代に引き継ぐ日本は、国家も個人も、もっと教養と文化の薫りにあふれ、日本やジャパンという言葉に親しみがにじむようでありたい。世界の人々が国の名を耳にしただけで、ほっとくつろいでくれるような日本でありたい。そういう国造りをしなければ、あの太平洋戦争で命を落としたおびただしい数の先輩たちに申し訳も立たず、廃虚からここまでがんばってきた意味がなくなる。 』
「いやでも対話せざるを得ない環境のほうがずっと子供のためになる」とあった。 こういう世の中だから、やはり少しそういう環境づくりをしなくてはいけない。 家庭でできること。外でできること。このことも 「日々の生活に落とし込むために、小さな努力の積み重ねを習慣化」ということであろう。こっちもすこし努力がいるが、子どもたちも少しずつ幸せになってくれるように、それぞれができることをやればいい。
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