|
|
スクラップ帖90(雑感・・・いかにやらせるか・・・)
| 2006/03/29
|
---|
あれがほしい、これがほしいばかりでは情けない。叶えられなければ不満しかでてこない。 試合に出たい、試合に勝ちたいばかりでは、出れなくて、負けてしまって、そのあとにはまさしく不満しか残らない。それこそ情けないことである。
試合に出るために、試合に勝つために、向かう方向はどこだろう。試合に出してくれとチームの監督にお願いするのか。今日は負けてくれと相手チームにお願いするのか。 お願いすれば何とかなると思っている。 何とかなるんじゃないかと期待している自分がいる。 期待ばかりで、それに見合う積み重ねの小さな「仕事」はやっていない。 小さな「仕事」は割に合わないからだ。 小さな「仕事」は自分のためなのに、いつしか自分以外の誰かに認めてもらうための「道具」となる。監督に試合に使ってもらうために、表面をきれいにメッキした「道具」をひけらかす。 お願いすれば何とかなると思っている。 監督も正直だから騙される。騙されたことを知っていて「騙される」。監督も辛いものである。でもそうしてバランスを取りながらチーム状態を考えているところがある。 寺西 忠成氏の(当世生徒気質)を内に含んでの対処を、監督は泣く泣くコントロールしているのだ。 そしてその監督も、何とかなるんじゃないかと・・・。
小さな「仕事」が自分のためになっていることを、知り、知らされたのは何時からだろう。 だから先輩は云う。「おまえには同じ失敗をさせたくない、と。・・・」 ここのところをどうやって教えていくか。 いつの時代もこの課題に結局ぶつかっているのではないだろうか。 試合に出るために、試合に勝つために、向かう方向はどこだろう。それは自分に向かうことが出来る、積み重ねの小さな「仕事」をコツコツやれるヤツ。
教えることに満足し、教えたことに悦んでいる。
教えられることに麻痺している、お願いすれば何とかなると思っている(当世生徒気質)に対して今やることは、『いかにやらせるか』 であろう。ここのところはどんな立派な指導書でもできない。監督のまさしくサッカーを通しての「指導」そのものである。 ここのところの議論がもっともっと必要と思うがいかがだろうか。雑感となった。
|
|