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スクラップ帖99(雑感と河合隼雄氏の〔個の時代に合った規範を〕から・・・A)
| 2006/04/19
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日経新聞の記事(文化庁長官の河合隼雄氏の〔個の時代に合った規範を〕ー2006.4.6付け)の続きである。
前回(スクラップ帖98)は取り留めのない雑感が過ぎた。お許し願いたい。
『・・・・・・親が、子供のちょっとした反論にさえ戸惑っている。何が善で何が悪かの規範が分からなくなってしまったから、大人として振る舞えない。もはや個別の問題というより、日本全体として取り組むべき大変大きな課題の一つだと思う。・・・・・・』(河合)
僕のU-10、テレビを囲んで近所のうちのひとが、学校帰りに寄る駄菓子屋のおばあちゃんが、いつもの万屋(よろずや・・・いまのコンビニ!)のおじさんが、お好み焼き屋のおばさんが、遊び疲れた夕方、友達のおかあさんが、自転車で通りかかったおっさんが、ちゃんと「大人として振る舞って」くれたのである。
みんな何処かに行ってしまった。
『・・・・・もう、一つの原理で生きていける時代ではなくなったのかもしれない。・・・
生きていくということは、心の中に矛盾するものを抱えていることでもある。集団の中にあって他人の気持ちを察するといった古来の日本的特質もある。一方で、グローバル化に対応して個人ががんばることも必要だ。そんな相反するような状況をどうやって調和させていくか。よほど真剣に考えていかないと、子供も育てられない。』(河合)
『心が貧しくなったとは思わない。が、モノが豊かになったほどに心は豊かになっていないのではないか。要するにバランスの問題だ。心を豊かにしていく場面で文化の果たす役割がある。
・・・個人がもっと文化にお金を使ってもよい。大阪市では月一回、土曜日の朝に中央公会堂でコンサートを開いているが、料金を千円に抑えたこともあって家族連れが数多く聴きに行く。・・・・・・』(河合)
サッカーを文化として捉えるには、残念ながらまだ日本において(時期尚早)と考えなければならないだろう。しかし確実にそして格段にそれを形成しつつあると思う。 U-10の子どもたちと、家族連れでサッカーのイベント(ここではサッカーとしたが、スポーツという枠で、そして当然それ以外のそれこそいろいろなものがあるだろう)に参加して、そこでいろいろ「大人として振る舞って」ほしい。文化は間違いなくそこが出発点となる。子どもはまた大人になるのである。子どもはそこで育っていく。僕のU-10時代のテレビを囲む場が今ここにあるのではないだろうか。
『・・・・・・このままでは、日本の悪いところと個人主義の悪いところだけになって、日本は失敗するんではないか。新しいルールを真剣に議論する場をつくらねばならない。』(河合)
我々は真剣に「大人として振る舞って」いけるようにがんばらなくてはいけない。子どもたちはそこにいる。われわれが育てていただいたように・・・。
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