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スクラップ帖98(雑感と河合隼雄氏の〔個の時代に合った規範を〕から・・・@)
| 2006/04/18
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前回(スクラップ帖97)映画監督の山田洋次さんの「戦後60年を語る」(2005年8月11日付中国新聞)を取り上げた。 「少し空腹」「少し寒い」ことが必要なのでは・・・と語られた。
最近テレビで外国人のおばさんが(偉い方なのに失礼!)、「モッタイナイ」といっているCM(?)をよく見る。 そうしていると日経新聞の記事(文化庁長官の河合隼雄氏の〔個の時代に合った規範を〕ー2006.4.6付け)を見て「なるほど!」と思ったので、切り貼りしながら雑感と・・・
『・・・・・・日本では、豊かになったときの倫理などほとんど考えてこなかった。急に豊かになったものだから、一挙に問題が噴き出した。・・・』(河合)
僕のU-10、つまり昭和30年代の家庭の移り変わりを考えてみると、例の「電気洗濯機」(電気とわざわざついているところがまさしく最新式であり、豊かさの象徴であった)の登場であり、そして待望の「テレビ」(4本の木製の脚がついていて、観ないときには、画面[ブラウン管]に恐れ多くも布の幕が掛けられたのだ)が入ってきた。三種の神器の最後「電気冷蔵庫」は大分後になってと記憶する。あの頃のU-10の僕にとっても『急に豊かになったものだから・・・』と感じたように思える。
『・・・個人主義はキリスト教文化圏から出てきた。それには倫理が不可欠で、キリスト教の倫理が働いている限り、個人主義は利己主義にならない。日本では【イエ】を第一としてみんなでやっていこうという考え方が倫理の基底にあった。イエを取っ払ったところに個人主義が広がったから、旧来の倫理などどこかへ行ってしまった。・・・』(河合)
間違いなくいまは個人主義の意味を取り違えた利己主義--よく使われる個性の尊重とか、あるいは流行りの自己責任とか、その基になるものを蔑(ないがし)ろにしたもの--が蔓延し、ほとんどマヒした状態であるといえよう。何が大事で、何が大事じゃないかが分からなくなっている。以前取り上げた(スクラップ帖58)、藤原正彦氏が、『・・・日本の中世においては、自由というのはしばしば「身勝手」と同じ意味で使われていました。【徒然草】においても、そのように使われていたと記憶しております。自由が著しく制限されていた戦中への反動から、また自由を国是とするアメリカによる占領統治もあり、戦後はことあるごとに「自由」が強調されてきました。・・・・・・しかし結局、自由の強調は「身勝手の助長」にしかつながらなかった、と言えるのではないでしょうか。・・・・・・』(国家の品格より) と述べている。 「自由」、「個性の尊重」と叫ぶ個人主義は、いまの日本で「身勝手主義」としてそれこそ隅々まで浸透してしまったようだ。 河合氏の〔個の時代に合った規範を〕に戻ろう。
『・・・日本の家庭教育はモノがないことを前提に、実にうまくできていた。背後にあったのは仏教的教えだ。いろいろ言わなくても〔もったいない〕の一言で通じた。モノがなく貧しくても生きていくシステムができていた。豊かになりシステムが壊れた。・・・』(河合)
家の中を一度ゆっくり見回してみたらどうだろうか。そこにはモノが溢れ、モノがあることによって親は子どもがなに不自由なく順調に育っていると思うのだろう。愛情を注いでいると大人は思うのであろう。でもやっぱりモノやカネで、子どもたちへの「愛情」は代替できない。いま子どもたちを取り巻く状況の中で、あちこちでその「代替された愛情」が露呈しているのではないだろうか。
僕のU-10、我が家へテレビなどまだ夢の夢の頃、近所のうちにある日テレビが入った。夕食時にもかかわらず上がりこんで観ていると、おばちゃんがおすそ分けを運んできてくれる。終いにはウトウトと眠りこけている。いつの間にかおかあちゃんが抱きかかえて我が家へと、このパターンだった。確かにこれはテレビという「モノ」である。テレビのないうちの子は、テレビのあるうちに集まってうちの人と一緒に観る。テレビは「近所のモノ」だった。近所のモノである「テレビ」に、おとなも子どもも集まって、自然に大人の振る舞いを見ながら子どもたちは育てられていったように思う。温かい愛情がそこで注がれていた。家庭があり、近所が「生きていた」。 いまは一家に一台ではもはやなく、一人に一台である。ここにある「モノ」であるテレビは、子どものためにと(もしかすると親も親で観たいために!?)与えられたもの。子どもは不自由なく「ひとり」で観ることができる。 ああ、子どもは喜んでいると・・・。 同じ「モノ」であるテレビであるが・・・
またまたずれてしまった。河合氏の〔個の時代に合った規範を〕に戻ろうと思うが、次回に続くとしよう。(休憩)
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