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スクラップ帖88(寺西レポート・・・オランダ協会のジュニア育成・・・A)
| 2006/03/26
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寺西忠成氏の 「オランダ協会のジュニアー育成」を読んで (平成7年2月1日送付)
『オランダ人であるウィルクーバーのドリル中心のジュニアー指導がオランダで反省されている。 そのポイントはドリル中心から実戦中心の指導への移行である。 そこでこの問題を我々の手元に引き入れてみよう。
○ 広島一中を例にとり半世期前を考えてみるに、そこにはドリルはなかった。万里の長城のあるグランドでの昼休みの学年対抗草サッカーと蹴球部員の実戦用の自己ドリルである。
誰も教えてはくれないドリルである。ボールを止めるにしろ、ドリブルするにしろ、蹴るにしろ、ヘディングするにしろ、見よう見まねによる自己流である。上手に出来ないとその都度上級生からどなられる。
試合に負けると(磐梯山)の歌に泣き、今度こそと自己研さんをする。時として大先輩がきての技術の素晴らしさに眼を丸くし、何時の日かあんな選手になりたいと胸をたかならす。
こう云う環境の中で往年の広島一中の選手は育ったので、何んとか実戦に使える技術をと一生懸命だったと記憶する。
○ 半世紀後の現在の高校の部活を観察するに、教育の一環の如く認識し、自己研さんはせず教えてくれるもんだと思っている。教え過ぎの言葉をよく聞くが、自己研さんは好まないが教えられるのも好まないのが当世の生徒である。
彼等が好むのは遊び心のある、楽しいドリルか実戦を好むのである。遊び心がもてないのならドリルより実戦の方が楽で面白いから好むのである。即ち実戦中心のトレーニングが先行することになっている。
一口に云えば、実戦中心のサッカーが此処半世紀行われているのである。』
つづく
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