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スクラップ帖86(師匠 寺西 忠成のこと・・・E)
| 2006/03/22
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【思いつくまま =十年を顧みて= 】のつづきから・・・
不備なプレーヤーを作らない
『さてチームを強くするためには各選手の特徴を生かすことも必要ですが、それではその一時代だけの線香花火的結果になることがあります。その時代だけならそれでもよいと思いますが、チームを強くするというあたりまえのことのために本筋のサッカーを教 えることを絶対に忘れてはなりません。簡単な表現をすれば不備のプレーヤーを作らないことです。今少し具体的に説明すれば、あるバックでタテには強いがヨコがなくウシロが弱い場合、タテの強さを一時マイナスにしても、タテ、ヨコ、ウシロを平均させることを先ず考へ、その後彼の特徴を生かすようにするのです。この時選手の年齢的なものと彼らのプレーの完成と、今一つはチームとしての強さを相対的に考えながら教えていかないと、選手のプレー完成にばかりとらわれた場合チーム力が低下するし、一方チーム力ばかりに力を集中すると選手が不備的プレーのまま年をとるという結果になります。このあたりがある程度完成したチームを持たれる方々の苦労される点だと思います。
頭書に述べました如く足掛け10年の会社人としてのサッカー生活を通じてしみじみと感ずることは、スポーツマンにとって八幡は天国であることです。勿論この紙上で書きつくせない種々の苦しみもありましたが、第三義的段階に到達してからは、昭和31年柴田(基町高)、昭和32年坪島(立教)、三木(国泰寺高)、堀田(修道高)、今年も井沢(立教)、片山(広大)、大石(山陽高)と補強が出来、広義には日本のサッカーの発展という大きな目標に向って彼らを不備でない立派なフットポーラーとして育て、狭義には社会人スポーツの第三義的な目的のために邁進出来る希望に満ちています。
最後にこのめぐまれた社会的環境にある八幡の若い選手達が自己のプレーに自惚れることなく謙虚な態度で立派なフットポーラー即会社人として成長していってくれるよう祈りながら筆をおきたいと思います。(筆者は八幡製鉄監督で32年度読売スポーツ賞サッカー部門で表彰された)』
【思いつくまま =十年を顧みて= 】 終わり
私のU-10の時代に師匠はまさにサッカーにすべてをかけて、九州に八幡ありをしめされていた。当時のコピーを掘り起こしてみたが、如何がだっただろうか。
そのコピーにその頃の顔写真が一枚掲載されている。お見せできないのが残念である。
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