50(フィフティーズ)の落書き帖

スクラップ帖103(馬場啓一さんの「男の礼儀作法」から・・・)
スクラップ帖102(寺西レポート・・・思いつくままに)
スクラップ帖101(モルテン代表取締役社長の民秋 史也氏、【教育改革への提言9章】)と雑感・・・)
スクラップ帖100(スクープ!-エスパニョール・ユースU-17(スペイン))
スクラップ帖99(雑感と河合隼雄氏の〔個の時代に合った規範を〕から・・・A)
スクラップ帖98(雑感と河合隼雄氏の〔個の時代に合った規範を〕から・・・@)
スクラップ帖97(山田洋次監督―2005年8月11日付け中国新聞「戦後60年を語る」から・・・)
スクラップ帖96(寺西レポート・・・講演会記録ー平成6年4月30日より・・・後編)
スクラップ帖95(寺西レポート・・・講演会記録ー平成6年4月30日より・・・前編)
スクラップ帖94(田勢 康弘氏の【戦後60年 (下)】(2005.8.16ー日本経済新聞より)
スクラップ帖93(寺西レポート・・・X理論・Y理論)
スクラップ帖92(雑感・・・矢部廣重氏から・・・A)
スクラップ帖91(雑感・・・矢部廣重氏から・・・@)
スクラップ帖90(雑感・・・いかにやらせるか・・・)
スクラップ帖89(寺西レポート・・・オランダ協会のジュニア育成・・・B)
スクラップ帖88(寺西レポート・・・オランダ協会のジュニア育成・・・A)
スクラップ帖87(寺西レポート・・・オランダ協会のジュニア育成・・・@)
スクラップ帖86(師匠 寺西 忠成のこと・・・E)
スクラップ帖85(師匠 寺西 忠成のこと・・・D)
スクラップ帖84(師匠 寺西 忠成のこと・・・C)

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スクラップ帖84(師匠 寺西 忠成のこと・・・C)
2006/03/20
【思いつくまま =十年を顧みて= 】のつづきから・・・




『   第二義的なもの



昭和28年は第二義的なものに表裏とも完全に明文化した年といえます。実業団全国大会に九州代表として出場は出来ても現状の練習状況では到底その上位進出は不可能ですから、幸い主将になった私は練習に出て来ない選手は今後試合に出場させないと断言しました。実際のところ11人の選手さえそろえ切れないことも予測される時代でしたが敢て断を下しました。アルコールが入れば人は意外な発言をするものです。この頃、ある先輩が「おれ達は君みたいにサッカーで入社したのではない、趣味でやっているので何らサッカー部に恩義はないのだ。感謝されてもいい立場なのに君のやり方は僭越である」と言われたこともありました。昭和28年主将石川(明大出)が入社し、昭和29年、渡辺(基町高)皆本(修道高)を補強し今までの九州代表から全国大会で何とかやっていけるチームへと変貌して行く段階に到達してきました。

第三義的なもの



昭和30年佐伯(基町高)の補強なって、待望の全日本選手権への九州代表となり得てから名実とも九州の代表として第三義的なものへ進出しはじめたわけですが、実に入社以来足掛け7年目でした。さて第三義的なものたるために時のマネージャーと相談し、高度な相手チームを物色すると同時に練習も科学的に行うことにしました。中央のサッカー関係の方々と接する機会にめぐまれない八幡チームにとって、兄貴分として陰に陽に助言を受けた東洋工業、全鉄鋼、全関西のチームの方々に負う所は大であったと感謝しております。八幡のサッカーもかかる過程で一応サッカーの形をととのえることが出来たわけです。』


つづく