50(フィフティーズ)の落書き帖

雑記帖123(旧道・・バス・・気くばり・・・)
雑記帖122(春ポカポカ、真昼の夢・・・)
雑記帖121(広島北ロータリークラブ例会にて・・・A)
雑記帖120(広島北ロータリークラブ例会にて・・・@)
雑記帖119(サクラ色・・・)
雑記帖118(弾ける・・・)
雑記帖117(子どもたちは・・僕の時代は・・)
スクラップ帖116(中田英寿選手の引退・・・)
スクラップ帖115(ワールドカップドイツ大会日本代表・・・各紙から・・・)
スクラップ帖114(「子供のため」の矛盾ー祖母井 秀隆氏の記事から・・・)
スクラップ帖113(ワールドカップーオーストラリア戦・・・)
スクラップ帖112(雑感・・・サッカー選手である前に・・・)
スクラップ帖111(夢・・・数学者の秋山仁さんー子どもと職業より・・・)
スクラップ帖110(詩人・坂村真民先生の「あとからくる者のために」・・・)
スクラップ帖109(雑感・・・あっちこっち・・・)
スクラップ帖108(寺西レポート・・・平成4年広島県高校総体決勝ー国泰寺対沼田より)
スクラップ帖107(ワールドカップドイツ日本代表メンバー発表・・・)
スクラップ帖106(脳科学者、茂木健一郎氏ーボイス2006.2月号から・・・)
スクラップ帖105(藤原正彦氏ー2003.9.28産経新聞の随筆より・・・)
スクラップ帖104(雑感・・・新聞の社説ー教育基本法ーから)


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スクラップ帖104(雑感・・・新聞の社説ー教育基本法ーから)
2006/05/05
スクラップ帖98・99で取り上げた文化庁長官の河合隼雄氏の〔個の時代に合った規範を〕ー日本経済新聞(2006.4.6付け)の記事。あの中で書ききれなかった部分をどうしてもここで引っ張り出したくなったので・・・




『――日本人に必要なのは心のゆとりですか。

「日本は “欧米に追いつき、追い越せ” と一心不乱に先進国入りを目指してきた。その間に、江戸時代にはあったはずのユーモア精神が失われてしまった。もう十分に追いついたのだからユーモア精神を少しは取り戻し、心豊かな暮らし方を考えなければならない」

「企業でも官庁でも普通になった評価システムも、日本人は過大に受け止める傾向が強い。人格まで決められてしまうように思っている。個人が確立している欧米では仕事に対する評価と、割り切って考える」・・・・・・』



評価システムなどという(エライモノ)は、我々日本人にとってなかなか割り切れないところがあり、それがまた日本人の日本人たるところであろう。だから評価のための評価という、わけの分からない泥沼にはまり込み、もがいている。とにかく評価を出しておかなくては・・・と意味のないところをグルグルまわってしまう。何が大事で何が大事じゃないのかという、人の生きざまから日本人は考えようとするから(そうあってほしい)、割り切れないこととなる。それが日本人なのだと思う。こんなことが昨今多すぎる。「ここは日本だ!」とさけびたくなる。江戸時代にはあったはずのユーモア精神とは何だったのかとゆっくり考える時間がいま必要だ。



ところでこのところの「教育基本法」改正論議が与野党で活発である。

中国新聞2006.4.14の社説には、




『どうしてそんなに急がねばならないのか。・・・・・・自民・公明両党による同法改正協議会はきのう「我が国と郷土を愛する・・・態度」などの文言を加えた改正案を正式決定した。改正を目指す理由として「教育の荒廃」などがあげられてきたが、改正で「荒廃」が解消するわけでもなかろう。慎重な取り扱いと野党を含めた幅広い議論が要る。・・・・・・改正案は「教育の目標」に両党間で論点になっていた愛国心を「愛する・・・態度」に直して合意した。妥協が図られたといえよう。・・・・・・「我が国と郷土を愛する・・・態度」といった文言はあいまいだ。いったいだれが判断するのか。心の領域とする人も少なくない。拙速は国民の一体感を損なう。』


また、日本経済新聞2006.4.26の社説には、


『戦後日本の教育が「知」と「徳」のバランスを欠いてきたことは、公共心や社会性を欠いた子どもたちが増えている現実を見てもあきらかだろう。家族やコミュニティーの変容に加え、国際化や情報化がすすむ社会基盤の変化も大きくかかわる。・・・・・・現行の教育基本法は個人の尊厳の重視や真理と平和への希求を理念として掲げ、個性あふれる文化創造をうたっている反面、戦前の国家主義教育に対する反動から国の伝統や公共的な価値とのかかわりを避けている点が指摘されてきた。・・・・・・自民党と公明党でつくる与党協議会で重ねられてきた改正案の議論では「愛国心」の表記を巡って溝を広げたが、公明党などへの配慮から「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という表現で合意した。・・・・・・教育基本法は理念法であり、法改正が直ちに子どもたちの教育と現場の改革につながるわけではない・・・・・・教育行政の在り方も含めて十分な国会審議をすすめ、新しい理念の下で知徳のバランスある人材育成を具体化する道筋を示したい。』





「愛国心」という文言に抵抗する公明党には、『・・・公明には「愛国心」への拒絶感が根強くあった。戦前、支持母体の創価学会が愛国を声高に叫ぶ国家主義政府によって弾圧されたからだ。・・・(前出、中国新聞2006.4.14の社説より)』という歴史があった。

学校現場では、君が代斉唱と日の丸掲揚が式典等で異常な混乱として子どもたちを巻き込んだ。

何が大切で、何が大切でないのかを考えもしない教師がたくさんそこにいて、「個」の大切を盛んに説く。「個」となり得ていない「子どもたち」をどれだけ甘やかし機嫌を取ってダメにしてきたのだろう。その子がすでにU-10の親として今の時代を生きている。本当に教育の責任は重すぎるのだ。改正議論を見守りながら目の前にいる子どもたちに我々ができることをひとつひとつ伝えていかなければいけない。


藤原正彦氏―「国家の品格」の著者が、2003.9.28の産経新聞に『「個の尊重」は身勝手と同義語か』という随筆を書かれているので是非紹介したいが、次回としたい。