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雑記帖117(子どもたちは・・僕の時代は・・)
| 2006/11/19
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ひさしぶりに「50の落書き帖」のページを捲ってみました。 それにしてもこの世の中は予定していた通りにはなかなかうまく進んでくれないものであります。「ケ・セラ・セラ」−なるようになるさ!−と肚を括って生きていくしか、結局ないのかもしれません。どんな形にせよ、生きていけることが幸せなことなのでしょう。幸せとはそういうなんでもない毎日の連続の中にあるようです。
いじめによって子どもたちがつぎつぎと自殺をする。親が子どもたちを虐待し死なせる。そして残虐な凶悪事件の数々が、毎日途切れることもなく報道されています。僕たちのU-10時代はこの「50の落書き帖」でも書いてきたように、愉しく温かい時代であったと心に焼きついています。なんでもない毎日の連続の中で幸せに生きてきたと思っています。
ところが少し前に本屋さんでパラパラ捲っていた本に、昭和30年代は果たして幸せな時代であっただろうかという、民俗学的な見地から、
「いやいやそんなことはなく、今以上に残虐な暗い事件がたくさんあった」
というようなことがどうも書かれているらしい本であったと記憶していました。高価な本だったのでそのときは買わずに帰りましたが、その後このようにいじめによる自殺や親によるこどもたちの虐待死が頻繁に報道される毎日に至り、あの時の本が思い出されてきました。こちらはあの時代、
「いやいや絶対あの頃にはそんなことはなかった」
とお守りのように考えているのですからそのままにしておけなくなりました。来週にでも買ってきて時間をかけて読んでみようと思っています。このことはまた近いうちにこの「50の落書き帖」で書いてみるつもりです。
先日たまたま寄った居酒屋で、だいぶ以前からお世話になっている某放送局の方とバッタリ出会いました。もう退職されて70才を越えられているはずですが、とてもとてもそんな年齢を感じさせない素敵な方です。少年のこころを今だお持ちの、
「パーとその場を明るくしてくれる」
僕もあんなふうに年を取りたいなと逢うたびに思ってしまうのです。ほんとうに久しぶりにお会いして、このようなモヤモヤしていた気持ちが晴れていった時間でした。まったく偶然の出逢いから幸せな気持ちになっていました。うまくいかないことばかりですが、そんななかにも小さな幸せが隙間から入ってきてくれるのです。 元気を出していきましょう!
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