|
|
スクラップ帖115(ワールドカップドイツ大会日本代表・・・各紙から・・・)
| 2006/06/27
|
---|
夜0時起床の毎日が続いている。正確には起きているのか寝ているのか分からない深夜の生活が続き、朝食後朦朧としてふたたび起きているのか寝ているのか分からない昼間の生活となる。ありがたいことに今は出勤する時間を気にしなくていいからこのウトウト感に「幸せ」を感じている。 今も午前1時にフトンから這い出しテレビのスイッチを入れた。イタリア対あのオーストラリア戦の後半が始まっていた。0-0でゲームが進んでいる。
6月12日のオーストラリア戦、18日のクロアチア戦、22日のブラジル戦。日本代表はグループFで、1分け2敗の4位で2006年のワールドカップドイツ大会を終った。遠くドイツのピッチに、ひとりのサポーターとしてジーコ監督とスタッフ、選手に「お疲れ様でした」と心の中で送った。
サムライブルーの心意気がこの大会見れたかどうかは、少し落ち着いてから考えることにして、今は、決勝トーナメントの戦いを愉しみたい。
しかし負けて予選1次リーグで終ったのだから、当然マスコミ各紙は代表批判の論調になる。
オーストラリア戦のあとの新聞の見出しは以下のようにならんだ。 「対策不足を露呈」「効果的な交代なし」「攻守の意図にズレ」「消耗戦 守備が決壊」「揺らぐ『ジーコの哲学』」「中盤のズレが後半の消耗に」「負けるべくして負けた」・・・
クロアチア戦では、 「力の限界超えられぬ日本」「開き直りー奇跡に向けてvsブラジル」「日本『午後3時の悪夢』」・・・
そしてブラジル戦。 「技術精度に世界との差」「『欧州組』増えても力伸びず」「真の実力把握を怠った」「考える力養えず」「指示待つ姿勢に未熟さ」「現代っ子選手『自由』が重荷」「失敗許さぬ国民性 背景」「メキシコ戦の教訓 生きず」「迷い続けた基本布陣」「守備・攻撃陣に確執」「決定力不足―万能型育成では限界」「『日本サッカーは後退』FIFA会長が中間報告」「欠けた闘志―危機感なく攻守淡々」「本番までに心身衰弱」「リーグ戦の疲労蓄積」「チームの活力低下」「なぜ暑さに負けたのか」・・・・・・
大会は終ったのだからこれらの批評(批判)には真摯な態度で受け止め、日本サッカー協会は2010年に向けて第一歩を踏み出さなければいけない。そしてわれわれはこの第一歩こそを注目しなければならない。
「サッカーには勝利の方程式はない。」と蓮實 重彦氏(元東大総長で現在東大名誉教授、スポーツでの評論活動を続ける)の記事がワールドカップドイツ大会開幕1週間前に載った。(日本経済新聞2006.6.3付け)
『――サッカーが他のスポーツと違うのは何か。
一昨年の欧州チャンピオンズリーグで、デシャンが監督をしてモリエンテスがいたモナコが驚くべき変容ぶりを示し、強豪をなぎ倒した。2004年の欧州選手権を制したギリシャは、今回、ワールドカップにも出られなかった。サッカーには「こうすればこう勝てる」というやり方が見えない。巨人の長嶋茂雄元監督がいう「勝利の方程式」がない。
野球は優れた投手が優れた投球をすれば絶対に勝てる。・・・
・・・サッカーでは、どのようにすれば強くなるのか、いまだに誰にも分からない。
サッカーのもう一つの魅力は四六時中動いていること。同じように動き回るバスケットボールと比べると、サッカーは背の高さに比例せずに事態が進行しうる。身長189センチあるブラジルのアドリアーノでもヘディングを常に決められるわけではない。サッカーは背の高さを無化しうる、ある種の民主主義が徹底していて、私の好きなところだ。・・・・・・』
さらに蓮實氏は、
『・・・ストライカーたるFWは5人でいいのか。(選ばれなかった)久保竜彦の状態は相当悪いのかもしれないが、チームの信頼が厚く、選んでもらわなくては困るくらいだ。
ストライカーは点取り屋ではない。そこに球を送れば皆を楽しくさせる人。試合の演出家である中盤の面々を超えなくてはいけない。・・・・・・』
最後にこう締め括られている。
『・・・サッカーが好きなら、日本以外の世界のチームに興味を持って当然だと思う。国中が盛り上がっているかにみえる韓国でも韓国チームは嫌い、イタリアが好きという人がいる。現在の日本のワールドカップ報道は、大本営発表とそれに基づいて日本がどこまでいくのか、単なる期待値をいっている。これは「運動」としてのスポーツに対する軽視だと思います。』
ふとテレビ画面を観ると、0-0で進んでいたイタリア対オーストラリア戦の後半、最後の最後でPKをイタリアが決めて1-0で勝利した。このあとは午前4時からウクライナとスイスの観戦となる。皆さんは遅刻をなさいませぬ様に・・・
|
|