50(フィフティーズ)の落書き帖

雑記帖123(旧道・・バス・・気くばり・・・)
雑記帖122(春ポカポカ、真昼の夢・・・)
雑記帖121(広島北ロータリークラブ例会にて・・・A)
雑記帖120(広島北ロータリークラブ例会にて・・・@)
雑記帖119(サクラ色・・・)
雑記帖118(弾ける・・・)
雑記帖117(子どもたちは・・僕の時代は・・)
スクラップ帖116(中田英寿選手の引退・・・)
スクラップ帖115(ワールドカップドイツ大会日本代表・・・各紙から・・・)
スクラップ帖114(「子供のため」の矛盾ー祖母井 秀隆氏の記事から・・・)
スクラップ帖113(ワールドカップーオーストラリア戦・・・)
スクラップ帖112(雑感・・・サッカー選手である前に・・・)
スクラップ帖111(夢・・・数学者の秋山仁さんー子どもと職業より・・・)
スクラップ帖110(詩人・坂村真民先生の「あとからくる者のために」・・・)
スクラップ帖109(雑感・・・あっちこっち・・・)
スクラップ帖108(寺西レポート・・・平成4年広島県高校総体決勝ー国泰寺対沼田より)
スクラップ帖107(ワールドカップドイツ日本代表メンバー発表・・・)
スクラップ帖106(脳科学者、茂木健一郎氏ーボイス2006.2月号から・・・)
スクラップ帖105(藤原正彦氏ー2003.9.28産経新聞の随筆より・・・)
スクラップ帖104(雑感・・・新聞の社説ー教育基本法ーから)


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スクラップ帖112(雑感・・・サッカー選手である前に・・・)
2006/06/09
尾道はとても好きな街でよく出かける。駅前から東に長くつづく商店街は空き店舗が目立ち寂しい気持ちになる。

何処にいってもそうである。
小学校6年生と中学校1年生の2年間暮らした呉には中通り商店街があり、本屋、写真屋、家具屋、歯医者、ペットショップ(小鳥屋)、お菓子屋・・・に同級生がいた。
最近久しぶりに訪ねてみると店があったところに店がない。商店街の入口にある本屋がかろうじて思い出を留めている。M君は元気でやっているだろうか。
映画館もない。しかし好きだった「フライケーキ」は現存していてうれしかった。包んでもらった紙が昔のように油が滴った。

大学を卒業した年は三原に1年間住んでいた。1年間仕事で三原桟橋からフェリーで通った街だ。駅前はすっかり変貌、面影はなくなっている。国道2号線から三原駅の西側に抜ける帝人通りはさらに寂れている。
駅前に大型百貨店が進出したために大きく様変わりしたのだが、それもいまは撤退した。
あの頃はフェリーから降りると駅前の大衆食堂兼居酒屋で、いいだこで一杯、そのあと路地の奥にあるKでハイボールを飲んだ。蝶ネクタイのマスターが若い僕をよくしてくれた。今はマスターも引退してしまわれたそうだが、名前もそのままにその大型百貨店の一角で今もやっている。

尾道の駅前も変わってしまった。駅を出て左に行くとすぐ道沿いに商店街がある。長いアーケードがまもなく現れる。その商店街と尾道水道との間にもう一本通りがある。以前は駅を出ると目の前に桟橋があり、すぐ横の映画館のところを左に入り海岸にでると、雁木沿いに魚を食べさせてくれる店が並んでいた。店の裏で釣って捌いているようなそんな雰囲気であった。海岸べりはいまは綺麗に整備されて此処も面影がなくなった。ここをしばらく歩くとTやSといった有名な尾道ラーメン店があり、行列である。
その整備された海岸べりのカフェーに入るとガラス張りで海がよく観える。対岸の向島の日立造船所にあの映画『男たちの大和/YAMATO』の戦艦大和のロケセットが見えるのである。


戦艦大和の語り部、八杉 康夫さん。昭和18年に15歳で海軍志願兵に合格、海兵団の入団式で言われた言葉は(致知2006.7より)

『諸君は立派な帝国海軍軍人である前に、まず立派な人間たれ。兵器なら失えば作ればいいが、諸君のような優れた人間はつくれない。うかうかと死んでもらっては困る』
胸が震えたと書かれている。



5月5日のこどもの日の中国新聞(2006.5.5付け)―天風録にもゴルフのタイガー・ウッズ選手のお父さんアール・ウッズさんの次の言葉、

『ゴルファーである前に立派な人間に育てることを目標にした』

『アールさんの著書「タイガー・ウッズ父子のゴルフ&教育革命」には、自主性を促す子育てが記されている。
「親子がうまくいくためには、互いに尊敬する関係がなければだめだ。愛情は与えるもので、尊敬は勝ち取るもの」
「指導を与えるのは、求められたときのみにとどめるべきだ」』

さらに続く。

『日本では宮里親子がよく話題になる。息子二人と娘の三人をプロゴルファーに育てた父親、優さん(59)は、
「ゴルファーである前に、人間であれ」が口癖だ。・・・』



サッカー選手である前に、立派な人間であれ。 家庭で、地域で、ピッチで、子どもたちに「口癖」にしなければいけないのである。そのまえにわれわれ自身がそうあるように・・・