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雑記帖119(サクラ色・・・)
| 2007/02/11
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友だちの同級生が、大手企業を退職し起業。7年目で、いよいよ株式会社としてスタートをすることとなりました。
たいへんな苦労と地道な努力があったことでしょう。自分のことのように喜び、こころからおめでとうという気持ちでいっぱいでした。
それでこっちがお祝いをしなくてはいけないのに、自分で何人かに声を掛けてこの日は「設立報告会」ということになったのであります。
僕はかなり遅れて行きましたが、すぐに気のおけない仲間と愉しいお酒となり、スーと心地良い酔いに包まれあとは・・・
進んだ高校はそれぞれ違い、選んだクラブもバレーボール、野球、サッカー、バスケットボール・・・と、その後もまさしく全方位に進んだのでした。
昭和50年代初めのサクラ色のわくわくする気持ちが思い出されます。 いやけっこうどぎついピンク色で、錐の先端のするどさをもって意気込んでいたように思います。
あのときのピンク色は30年の時間の中で、汗を掻いて滲んでしまい、木枯らしの中でグレーに変わり、また夜な夜なきらびやかなネオンと同化していきました。
でも、春先の温かい風のなかで観るソメイヨシノの淡いサクラ色が、30年が経った僕にはとても心地よいものと感じるようになってきました。
ここ何年かサクラの見頃をねらって、平和公園へ小さな弁当とお酒で、かみさんと花見に出かけます。
勝手に指定席と決めている場所にシートをひろげ、吹き墨の桜の花びらが入った猪口を2つ持っていき、乾杯となります。 ことしもここに来れました。春が来ましたと。
フィフティーズの面々が気兼ねなくこうして集まると、愉しい。 いろいろとそれぞれにありますが、みんな淡いサクラ色になっています。
勝つことに執着し、負けないことを追い続けてきました。これからもそうしていくのか。 経営者としてはいまも、いまからもそうしていくぞと怒られます。 スポーツの本質から言えばそれは当たり前のことなのです。
経営者である野球出身の友だちが、甲子園に出場したある高校の話をしてくれました。
甲子園に出場はできたけど、3年生でベンチに入れない生徒たちが学校のグランドで入場行進の真似をはじめた。
2列縦隊を作って大きく手を振りながら整然と歩き出した。何周も何周も回りだした。
そこにレギュラーの2年生がホウキをもってきてプラカードとして先頭に立った。・・・
話し込む彼の目頭は潤んでいました。
会社設立の彼には、祝福とともにたいへんな苦労がこれから待ち受けていることに、淡いサクラ色の面々によるキツイ励ましの飛び交う日でありました。
ことしもあのサクラの時期が、暖冬とはいえとても待ち遠しいと感じました。
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