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スクラップ帖116(中田英寿選手の引退・・・)
| 2006/07/12
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ワールドカップドイツ大会はイタリアの優勝で幕を閉じ、われわれの変則的な生活時間もこれで解消されることとなりそうだ。愉しみがなくなる寂しさがあるが、優勝したイタリアの監督、マルチェロ・リッピ氏(58)の『・・・孫とゆっくり釣りをする夏休みをたのしみにしている。』(2006.7.11付け中国新聞)と同様に、われわれも少し身体と頭を休めたい。しかしわれわれには普段の生活が引き続き待っているだけであるが・・・。
それにしても中田英寿(29)の引退は大きなニュースであった。 彼自身のホームページ「nakata.net」(http://nakata.net/)のメッセージの一節に、
『・・・ドイツでの戦いの中で「俺は一体何を伝えることができるのだろうか」、それだけを考えてプレ―してきた。・・・』 『・・・今大会の日本代表の可能性はかなり大きいと感じていた。・・・』 『・・・ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。・・・』 『・・・だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。・・・』
いろいろなところから、チーム内での不協和音の話なども聞く。何が本当のことか実際には知る由もないが、テレビで報道されるこれまでの代表のトレーニングやゲームを観ながら、私は感覚的に違和感を持ち続けていた。中田に対して「一目」置いていると思われるほかの選手の、中田と接している場面の映し出されるその「眼」に、「嫌悪」の色をどうしても感じてしまう。意図的に映し出されたと勘繰るには、ライブによるゲームの中での映像に頻繁に出てくることから考えすぎであろう。
チーム内にいろいろなタイプの選手が在り、それによって個々の実力以上の力となって展開されていく。だからチームゲームは面白い。アルミニウムに銅やマグネシウム、マンガンなどを加えた軽合金のジュラルミン。強度は大きく加工しやすい構造用材。チームはこの「合金」の要素が生まれれば最高に強いチームとなる。
「中田だからしょうがないか・・・」と接している「眼」に観えなくて、「こいつまた・・・」と「眼」を逸らせているように観えてならない。どちらもチームの中で勝つことに一生懸命なって考え行動しているのに「合金」となり得ない。これは歴史の中で繰り返され、これからもまた永遠の課題となっていくのであろう。監督(スタッフ)と選手の関係も同じことである。
中田英寿選手の 『・・・だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。・・・』
文芸評論家の加藤典洋氏が次のように書かれていた(2006.7.9付け中国新聞―現論より)ので最後に紹介して終ろうと思う。中田英寿選手の引退に関する記事はまだまだいろいろとこれから流されていくことだろう。
『・・・今回のサッカーワールドカップは、中田英寿選手の引退表明という意外な副産物を生んだ。開幕前、その中田選手が日本の選手は「仲がよすぎる」と発言し、チームの雰囲気が悪くなった、ということがあったが、ここに顔を見せているのも、エンパシー(共感)とシンパシー(同情)の問題である。――エンパシー(共感)とシンパシー(同情)の違いは、シンパシーが相手の身になって感情を共有するのに対し、あくまで距離を保ちつつ、相手の気持ちを内在的に理解するところである----仲がよい(エンパシーがある)と仲がよすぎる(シンパシーがある)は違う。仲が「よすぎる」のはいけない、と中田選手は言いたかったのだろう。・・・どうすれば、相手の真実が、しっかり、相手を傷つけることなく、相手に伝わるか。 これから私たちが迎えるだろう「エンパシー社会」。そこでの課題であることは、間違いなさそうである。』
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