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スクラップ帖107(ワールドカップドイツ日本代表メンバー発表・・・)
| 2006/05/15
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2006FIFAワールドカップドイツの日本代表メンバーが今日5月15日発表された。代表枠は23名、ジーコ監督の選出するメンバーに今日の午後2時は緊張の時間となった。各紙、各テレビ局とも国内最後の代表戦であるスコットランド戦以後、予想合戦で賑わした。やはりFW陣のところがどこも注目されるところであった。
そして、発表となったその23名はほぼ予想するところであったが、サプライズといえばそのFW陣で久保竜彦選手(横浜F・マリノス)が外れ、巻 誠一郎選手(ジェフユナイテッド千葉)が選ばれたことであろう。
そして喜ばしいことは、我が広島のサンフレッチェから、駒野友一選手が選出されたこと。1981年生まれ、身長171cmwで体重73kg。決して恵まれた体格ではない、たぶん今回の23名の中では一番「小さい」選手であろう。是非出場チャンスを得て活躍してほしいと祈りたい気持ちだ。
それにしても悔しいのは、サンフレッチェ広島のFW佐藤 寿人選手。最後まで引っ張られていただけにとても残念である。そして、GK下田 崇選手である。キャンプ中に召集されてわれわれを一気にわくわくさせてくれたが、ジーコ監督は試合で起用し試そうとしなかった。とてもいい充実した状態であったと思われたのだが・・・とてもとても残念である。チームでの活躍で次にアピールしていってほしい。まだまだこれからである。
さて、外れた久保竜彦選手(横浜F・マリノス)は、1995年広島に福岡の筑陽学園高校から入団した。 日本経済新聞2006.4.26の記事―個性の軌跡―からすこし・・・
『・・・・・・福岡県太宰府市の筑陽学園高。サッカー部監督の吉浦茂和が、ひょろりと背の高いその少年に出会ったのは14年前にさかのぼる。 「この子らの面倒を見てくんろ」。 一面識もない三輪中サッカー部顧問の教員が、卒業を控えた生徒3人を連れて吉浦に会いに来た。その中に久保がいた。
現役時代、日本リーグのフジタ工業で鳴らした吉浦の名を伝え聞いての入部志願。試しにボールを渡すと、その大きな構えに驚かされた。伸びやかな歩幅と加速。ひざはカモシカのように柔らかい。まともな指導を受けた跡がないうらみはあるが、変な癖もない。筑紫の国の奥深くで隠れ育った手つかずの自然物。それが久保だった。
ハーフコート大の練習場に、部員は100人以上。猫の額ほど狭く、芋を洗うように気ぜわしい同校の環境下、吉浦は久保に左のハーフを割り振った。 「左45度からのシュート力、右クロスを切り返すヘディングの高さ」を買ってのこと。
その決断を今、吉浦は悔いている。 「早くからFWをやらせるべきだった」。 だが、密集地帯でタッチ数の多いMF体験を重ねることは、技術の下地の乏しい久保には省くべからざる手順ともいえた。原石の「発見」が遅れた分、「加工」も後へずれ込むのは、やむを得ないことだった。・・・・・・』
メンバー発表は、監督にとって(すくなくともわたしには)つらいものである。「落っこちる」子どもらの顔がその瞬間まで引きずり、「落っこちた」子どもらの悲しそうな顔を見ることはできなかった。ここは試合に向かう監督が通らなければならない「時間」なのである。だから選んだメンバーには強烈な要求を求めるのだ。 選んだ子どもたちにも、選ばなかった子どもたちにも、どの子にも申し訳ないと詫びるだけ。
ジーコ監督、もう少し頑張ってと願うばかりである。
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